相談してみようかな、と思われる存在に
Profile
角田 幸恵(カクタ サチエ)
看護師
群馬県高崎市出身。
県内の三次救急病院で脳外・泌尿器・整形外科・呼吸器内科・循環器外科と幅広い領域での臨床経験を積む。仕事と子育ての傍ら大学院へ進学し保健医療学修士課程を修了。その後、看護大学の学年主任として老年看護学の教鞭を取る。埼玉県への転居を機として「ましろ訪問看護リハビリステーション東川口(現 ましろ訪問看護ステーション)」へ入職する。
忘れられない病棟での患者さんと今も残る後悔
病棟で勤務していた際、がんを患う患者さんを多く看てきました。
急性期から終末期まで様々な患者さんの看護業務に忙殺される毎日でしたが、そのような中でも「忘れられない患者さん」がいます。
当時、私と同年代の患者さんでした。
ほんの2週間くらいの入院期間でしたが、腹水や浮腫により足が冷たく動くのも大変になっていたため、足浴やマッサージを行ったり、他愛もないテレビドラマの話をしたり、時には病気のことを涙ながらに語ることもありました。
「また明日もお願いしますね」とお声をかけシフトをあがった翌朝、容態が急変して亡くなられました。
後日、ご家族が預かっていたご本人から私宛の手紙をいただきました。
その中には、
「病気になって辛かった。けど、あなたに会えてよかった。あなたがいたから頑張れた。本当にありがとう。毎日楽しかった。」
と書かれていました。
慌ただしい病棟業務に追われる中、その患者さんに関われる時間は1時間にも満たない日も多かったと思います。
「もっと声をかけてあげれば良かった」「もっとやれることがあったのではないか」と、私の中の後悔は今も強く残っています。
「お互い様」精神のチームに支えられて
子ども2人を育てながらでの病棟勤務をしていました。
まだ子どもが小さい頃は風邪を引いたり熱がでたりすることも多く、1人が熱を出すと次はもう1人が…といった具合で、月の半分近くをお休みをいただくこともありました。
そのような中で、職場の方にご迷惑をおかけしている負い目も感じていましたし、仕事に没頭できる環境にいた同期に対してスキル・キャリアにおいて差をつけられていくような焦燥感に駆られることもありました。
心身共に疲弊していた私の様子を心配した職場の方から、「お互い様だから大丈夫よ。あなたの身体は大丈夫?ちゃんとご飯は食べれている?」といった温かい言葉をかけていただけたことが、とても嬉しかったことを覚えています。
現在、ましろ訪問看護ステーションにおいても、メンバー同士が支え合い、悩んでいる時は声がけをし合えるような関係性を築いていきたいと考えています。
病院では叶わなかったことを訪問看護で
訪問看護師としてはじめて担当をした、がん末期の利用者さんがいました。
身体が動かなくなっていき入院を勧められていたのですが、ご本人からの強い希望があったことと、ご本人の意向をとても大切にするご家族だったことから、最期をご自宅で迎えることを選択されました。
私は奥様と相談を重ねながら、ご本人にも逐一説明をしつつ、ご家族と一丸となってご自宅の環境を整えていきました。
最期はご本人の希望通りご自宅で過ごすことが叶いました。
呼吸停止をしたとの連絡が入りご自宅へ駆けつけると、奥様が泣きながら私の方へ駆け寄ってきて、「最期までありがとう。本当に幸せだったと思う」と声をかけていただきました。
また後日、ご挨拶に伺うと「今後もご飯でも食べにきてね。身体に気をつけて頑張ってね」と温かい言葉をいただきました。
これまで病院で働く中では患者さんやそのご家族とここまで深い関わりを持つことはありませんでした。
ご利用者・ご家族とまるで家族の一員のように最期まで関わりを持つことができたこと、その繋がりが今後も続いていくことは、「訪問看護師になって良かった」と強く感じられる、とても印象深いものとなりました。
「ましろ」の人になら相談してみようかな
日々、様々な病気や障がいを抱えているご利用者の訪問をしています。
皆さん毎日の生活の中で、たくさんの想いや希望を抱えながら、身体のこと病気のこと家族のこと等を理由にそれを諦めたり考えないようにしたりしながら生活をされているように感じます。
そんなご利用者の心の中にしまってあるものを、「ましろの人になら伝えても大丈夫かな。相談してみようかな」と思っていただける訪問看護ステーションを目指していきたいです。
そのためには、メンバーのひとりひとりがご利用者と視点を合わせていく姿勢を持つことや、様々な価値観・生き方を受け入れていくために、お互いを否定せず相談しあえるチームであることが大切だと思います。
チームで話し合い支え合いながら、ご利用者のために前向きに学び・スキルアップしていける訪問看護ステーションを、一緒に築いていけると嬉しいです。